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■ ザビエル・カトーのプロフィール ■
■ 略歴

1959年(昭和34年)4月19日に、東京で生まれました。
中学時代に、カセットテープレコーダーで「覚醒」(^^ゞ。 以降、「音」を趣味にして、多感な青春時代を送ります。
1982年(昭和57年)に、日本ビクター株式会社に入社。ちなみに、文系だったので、営業職です。
入社2年目から、ビクターが初参入したMSXパソコンの立ち上げに参画。「パソコン青年」の名を欲しいままに(^_^)v
ここから、映像とコンピューターの境界の仕事をずっと担当していきます。
業務用放送用のテロップ(文字入れ)装置の企画・営業が一番の大仕事だったかな。
その後、業務用映像機器全般も担当したので、ハード・ソフトそして現場のノウハウを自然に習得しました。
2002年6月、日本ビクター退社。20年のサラリーマン生活でした。
その後、焼き鳥屋さん修業、プータロー、カルチャースクール運営手伝い、プータローと行先不明の数年間を過ごします。
2005年8月1日。「プータローと収入のない社長は同じだ!」と突然ザビスタ発足を宣言(^^ゞ
最初は、CD教材の音声録りやホームページ作りから始めて、その後、ビデオ撮影・編集が仕事の中心に。
そして、現在に至る、という感じです。

以上で物足りない人のために渾身?の一代記を書いてしまいました(^^ゞ  おヒマなときにつきあってください。
幼少時代 学生時代 会社員時代 放浪時代 ザビスタ時代
1959〜1972 1972〜1982 1982〜2002 2002〜2005 2005〜


■ 郷土を愛する人が好きですね (幼少時代)
私の生まれは、東京の目黒になります。
生まれたときから、小学校3年までをここで過ごすのですが、私にとっては、目黒が故郷であり、田舎なんです。
今でも、近いっちゃ近いので、食事に行ったり、現地調査?に行ったりします。
趣味のひとつに、地理とか川・用水なんてのがあるんで、そういう昔の名残みたいなのを見に行くのが好きだったりするんです。

右の写真は現在の目黒駅前ですが、黄色いプロミスのところに、生家がありました。
ここで、日本料理屋(割烹)をウチはやってたのです。
まわりは大人ばかりの世界でしたが、おかげさまでかわいがられたので、素直に育ったと思います。

昔は、今では考えられないくらい世の中が貧乏でしたね。
ウチは食うのには全然困らなかったけど、6畳間に親子4人で寝てましたから。それでも恵まれてる方だったように思う。

それと、都会といっても、今のイナカよりのどかなもんで、私の気持ちの中には、東京=都会というより、東京は「村」という感覚が強いです。
だから、田舎があって、それを誇りにしてるような人たちと特に気が合うように思います。

幸せな幼少期だったからかもしれないけど、人や郷土を素直に愛する気持ちってのは、この目黒で育んでもらったと自覚しています。



■ 音を突き詰める、音で自分を表現したかったんです (学生時代)
自分の人生においての最大のターニングポイントは、小学校から中学校の間にあります。
中学受験で、慶応中等部に入学できたものですから、以降は大学まで受験なしの学生時代を送れたのがラッキーでした。

勉強は得手不得手がはっきりしてましたが、まあまあできたので、余った力は趣味に注ぎました。(ちなみに女子にはまったくモテませんでした(^^ゞ )

中でも、お年玉でカセットテープレコーダーを買ってからは、音のとりこになりました。もちろん、天地真理とか歌謡曲・音楽も好きだったんですが、録音とか機械いじりに興味が行きました。

それからは、ラジオ、ラジカセ、オーディオと、当時のマニアが突き進む道を順当に登っていきましたね(笑)

中学3年のときに、「効果録音愛好会(ERHG)」なる学校非公認の仲間内のグループを結成。以来、現在に至るまで、彼らと交流があるし、私自身は、音の道を突き進みます。

ERHGは、まあ一種の放送部みたいな活動をするんですけど、とても創造的な集団で、小説やシナリオも書くし、マンガ描く奴もいたし、私はひたすらテープレコーダー持って、友人宅を訪問して、音録りをしてました。

高校時代は英語と数学が特に苦手だったので、理科が大好きだったのに、理工系は挫折。大学は経済学部に行きました。でも、経済は大嫌いだったので、ほとんど経済の授業は出てません。まあ、特に夢もなかったので、就職に有利、くらいの理由で学部を決めてました(^^ゞ

ただ、大学3,4年はホントに勉強しました。入ったゼミが計量地理学という分野で、これがけっこう性に合ってました。今も切磋琢磨しあうオーディオ仲間と出会ったのも、このゼミです。

また、パソコンに触れたのもこのゼミのおかげでしたし、バイトして買った、PC-8001をシンセサイザーとつなぎたい、なんて野望を持って、音とPCにのめりこんでましたね。

今では当たり前になりましたが、卒論でパソコンを使ったり、プレゼンにパソコンを使うなんて芸当は当時はまだほとんど行われてませんでしたが、我々の卒論チームは先駆けてそれらをやってました。

やっぱり、この慶応時代で身につけたもの&交友関係が今も自分を支えてると思います。ありがたいことです。




音の探求に没頭の学生時代

卒論発表をする自分

■ 映像だけじゃなくて、実は、人とか会社について学んでたんですね (会社員時代)
大学卒業して、いよいよ社会人です。正直言って、働きたくなかったし、夢も別にないので、趣味の延長で電気メーカーを希望しました。

幸い第一希望の日本ビクターが拾ってくれたので、そこで平々凡々とやっていくつもりでした。最初はどういうわけか、ビクターレコードの営業マンをやらされたんですが、入社2年目で突然本社企画室に呼ばれました。

実は、この時、ビクターはパソコン業界に参入しようとしてて、パソコンに詳しい文系の人間を探してたんです。それで、私に白羽の矢が立って、以降、ビクターのお偉いさんの横で、ちょこちょこパソコンいじって過ごしてました(笑)

結局、パソコン事業は尻すぼみになるんですけど、その流れで、映像分野にコンピュータのノウハウを取り入れて部門は継続。私も、営業職として、コンピュータディスプレイをNECに売りに行ったり、放送局に画像処理装置を納めに行ったりしてたのです。

30代になって、担当したのが、「ISIS(イシス)」という愛称のテロップ装置でした。このネーミングは私が考えたのですが、業界ではけっこう有名でした。とてもいい商品だったと思うし、今も売れてます。

その後、役職になったりして、業務用映像機器全般に手を染めるのですが、正直つらいことの連続でした。あー、辞めたいなあ、死にたいなあ、なんて思うこともあったけど、それでも結局20年勤めちゃいましたねえ。

なんでかと今振り返ると、やはり人に恵まれてました。とにかくビクターの人たちはいい人ばかりです。会社辞めた今でも多くの方々とおつきあいがあります。

そういう人たちから、多くのことを学びました。機械好きですから、製品のことは自分で勝手に覚えます。でも、苦手な営業とか宣伝とか事業計画とか、そういう会社の基本は、それこそ20年に及ぶOJTで身につけさせてもらったんだと思います。

◆ザビエル誕生秘話
それと忘れてはいけないのは、「ザビエル」という、今も愛用するニックネームがつけられたのも、ビクター時代でした。

時の上司が、私に対して、「この商品を売るための営業販促は、布教活動と同じだ。そしてキミたちは宣教師だ。オマエは髪型からして、今日からザビエル」と名づけてくれたのです。

けっこうこれはインパクトがあって、気に入ったし、「加藤」という本名だと、よく覚えてもらえないんですが、「ザビエル」なら、一発で覚えてもらえるわけです。これは、営業として大きな武器でした。さらには調子に乗って、名刺の裏に英字で「XAVIER」とまで入れさせてもらいました。

上司が偉かったのは、ただ名づけるだけじゃなくて、総務に交渉して、この名刺の件も営業に絶対必要だと通してくれたんですね。おかげで、「ISISのザビエル」として、業界でますます有名になったわけです(^^ゞ



会社員時代(32歳)

ザビエル名刺

■ 迷って悩んで、一度リセットする必要があったのかな (放浪時代)
ビクターを辞めたのは、やっぱりそのときはいろんな要因が重なって、「辞めよう」ということになるんです。

会社がつらい、くらいじゃ辞めれないものです。これに、ちょうど20年勤めたぞ、早期退職希望制度で退職金たくさんもらえるぞ、行きつけの焼き鳥屋がいっしょにやらないかと言ってくれてるぞ、そんないろんな風が不思議と吹いてくるんです。

それで、タイタニック号を降りて、荒海にイカダで漕ぎ出すことになるわけなんですね(笑)

半年の休養後、2003年の頭から、新橋の焼き鳥屋に勤めました。焼き鳥屋といっても、かなり高級志向でしっかりしたお店です。うまくいけば、支店を増やして、私はスーパーバイザーとして、いいお給料をもらう計画でした。

しかし、世の中そんな甘くありません。とにかく飲食業のウラはほんとキツいです。朝の仕込から夜のレジ締めまで、苦労の連続でした。

20代なら、まだ体力と気力でなんとか経験値を上げていけるんでしょうが、40過ぎのオジサンにはやっぱりムリでした。1年がんばって、ギブアップしました。

それでも、ここでは、個人経営の店や会社の大変さ、大企業と違った視点、考え方を学べたんだと思います。まあ、今になって思えば、必要な経験だと思いますが、その時は死にそうでした(笑) 正直、ウツ病寸前でしたから。

その後は、失業保険などにしがみついて、プラプラしてました。これといったアテもないのです。そして、「ヒマだったら、手伝ってあげてよ」と紹介されたのが、青山にあるカルチャースクールでした。そこのホームページ制作を請けたのです。

それがきっかけで、美人社長に気に入ってもらって、経営のお手伝いをすることになりました。経理は正直苦手ですが、やはり経営の基本です。伝票やら通帳とにらめっこしてました。

でもね。やはり向いてないんですね。どんどん考えがネガティブな方に行ってしまい、会社にまったく貢献できない自分になってました。実質、クビです。でも、しょうがない。全然役に立たないんだもの。

これで、いよいよ後がなくなりました。失業保険もありません。いやあ、困った。というのが、2005年の7月のことでした・・・。

さて私はどうしたらいいんでしょう・・・・...○| ̄|_



やきとり屋修業時代

■ 好きなことを仕事にしてもいいんですね (ザビスタ時代)
独身&実家住まいなので、プーになっても雨つゆは凌げるわけです。ありがたい環境です。でも、40オトコがこのままでいいわけがありません。再就職するのか、自分で何か始めるのか。。。。

正直、未来が見えない日々でした。ただ、ひとつだけうれしいことがありました。

趣味でスピーカー工作をしてたんですが、オーディオ関係の雑誌「stereo」に投稿したところ、取材が来ちゃったんですよ(^^ゞ

しかも、カラー見開き2ページです。広告打ったらいくらかかるんでしょう。で、そこで書かれたのが、「この道30年のベテラン」みたいなことです。

「おお、好きなこと30年もチンタラやってると、世間様に一目置かれるんだ」と思いました。

それで、どうせ無職なのだから、ホームページでも立ち上げて、「スピーカー作りまーす」「オーディオコンサルタントやりまーす」「ライブ録音しまーす」と宣言しちゃおうかと思ったのです。

いくら会社作っても、仕事がなくて売り上げ収入がない社長は、プータローと同じじゃないですか(笑)

じゃあ、プータローでも、仕事承りますと宣言したっていいじゃないの、と思い至ったわけです。

それで、2005年8月1日にホームページを公開して、「studio XAVI」通称ザビスタをスタートしました。

最初の仕事は、セミナー関係をやってる知人が、CD教材を作るんで、録音をキチンとやってほしい、というところからでした。

もちろん、得意分野ですから、なんなくこなしました。その他にも、ホームページ制作の依頼などを仲間内からポツポツと頂戴しました。

しかし、ほとんど発展の見込みはありませんでした。音声関係のニーズはそれほど多くはないのです。

年が明けて、2006年。以前、音声教材を作らせてもらった方から、「つきあってる企業さんにプロモーションビデオの提案をしてるんだけど、対応できないか」という問い合わせをいただきました。

ビデオ撮影や編集はめんどくさい、と思ってたので、手をつけないでいたのですが、この時は素直に、「やってみようかな」と思いました。頂戴できる金額を考慮すると、この仕事2件取ればペイすると思ったのです。

それで、中古機材屋さんに行き、業務用のビデオカメラを買いました。そして、パソコンにビデオ編集ソフトをインストール。戦闘態勢が整いました。

初めての撮影取材、そして編集。どうなるかと思ったのですが、自分でもビックリするくらいうまくできてしまったのです。

これは、ビクター時代に業務用映像機器やノンリニアビデオ編集機を扱っていたために、自然と人並み以上に使いまわせちゃったんですね。

そして、このビデオ制作の話が仲間内で広がり、「なんだ。撮影してくれるんなら、ザビさん頼むよ」って感じで、注文が入りだしたのです。

それからは、いい作品を作る。それを見た人、うわさを聞いた人が、オーダーしてくれる、ということの繰り返しです。

セミナー関係者、そしてアーティスト関係者との交流がどんどん広がって、「いつかはザビスタに撮影をお願いしたい」と、おっしゃってくれる方々もいらっしゃいます。ありがたいことです。

これから先も、まだまだこの延長上でやっていきたいと思います。

私にできることは、そして好きなことは、音や映像を記録して、お客様が求める作品を作り上げて貢献する。それだけです。

昔は仕事はつらいもの、好きなことを仕事にすると趣味を失う、と考えてました。正直、数十年、「仕事はキライだ!」と公言してはばからぬ人間でした。

でも、30年も好きなことをやってきて、仕事の基本もいろんなところで教えてもらった結果、今このタイミングで好きなことを仕事にしてもいい時が来たみたいなんですね。

さてさて、この先どんな方々とお会いして、どんな仕事をいっしょにさせていただくか。そうやって考えると、ワクワクするし、自分の好きなことを仕事にしていいんだ、仕事を好きでもいいんだと思えるようになりました。

そんな私です。どうぞ、よろしくお願いします。


 

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